たこ焼き四個が運ぶもの.

スコープ少年の不思議な旅
そういえばクリスマス、メリークリスマス、とは云いはしたものの、恐らくそれらしい食事を自宅でするだけで終わる。雪だって降らないし、恋人にだって会えない。たこ焼きでも食べて帰ろう。もうすぐ誕生日が来るので、大きな楽しみは後に溜めておいて、今は周囲の雰囲気だけを愉しもう。
地下鉄に乗ると、近隣のデパートの大きな包みを抱えた初老の男性がひとり、乗り込んできた。ノーマン・ロックウェルの描いたサンタ・クロースをプリントした真っ赤なてかてかの包装は、「イギリス海岸」に立ち尽くす宮沢賢治を高級にしたような感じの装い(クラッシックなハットに長いマント、いずれも黒い)に決してぴったりと添う事はないが、その雰囲気にどこか親しみ易さを感じるのは、その大きな包みの中身は玩具であるという想像によるものだろうか。赤いロックウェルの赤い包みは、今夜子どもの枕元に置かれるのか、はたまた、翌朝のもみの木の下にそっと置かれるのか、或いは期待で目をらんらんとさせた子どもに直接渡してやるのか。いずれにしろ、その包みの先には仕合せは風景が広がっていると良い。
明日に控えた発表会の為に、暖房のない部のボックスで少し楽器を弾く。基礎の不十分さに苛立ち、楽曲の弾き込みまで手が届かない。進展はなく、気をつけるポイントと現時点で目標にすべき事を洗い出して、明日を向かえる事にした。
ひととたこ焼きを食べて帰る。ふたりで8個入りの皿を突き合う。こんな日に笑顔で接客をしてくれる店の若い女の子と(熱いので気をつけて下さいね、と次のお客の分をひっくり返しながら声をかけてくれた)、兎も角クリスマスにひとに会えた事に感謝が出来るのは、このたこ焼きが美味しいからかもしれない、と筋違いな事を思いながらせっせとたこ焼きの破片(一つずつが大きいので、丸ごと頬張ると口の中を火傷する)を口に運んだ。フランス料理に舌鼓を打つ人々もいれば、たこ焼き4個で仕合せになる人々もいるのだ。
いつも通りひとと途中の駅で別れてからも、電車には続々とカップルが乗り込んで来るし、下車した駅には三組に一組は恋人同士であった。まるで舞踏会の如く、誰か相手を見つけて寄り添わなければならない場所の様に。
骨付きのロースト・チキンと、出来損ないだが味と食感は「新感覚」でなぜか受け入れてしまう母手製のヨーグルトケーキを食べた。ヨーグルトがなぜかチーズケーキ味に変身していたのが可笑しかった。
さて、論文を進めねばならない。こうやって違う事(けれども日課なのだから仕方ない)をしていると、どんどん論文への気持ちが脇に逸れていく。
仮眠をとれば、ふたりで出かける夢を見た。

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注文していた古本が(『夢の引用 (1984年)』映画に関する随想の様。やはり武満徹著)、あまり気配りされていない梱包具合でやってきた。値段相応、と云われれば何も云い返せないが、本への愛が感じられないのは哀しい。早速薄紙で包んでやる。二週間前に雑貨屋で買った、お菓子や食品用のオイルペーパー一巻きを初めて解く。義務教育中の相棒(時々敵)だった藁半紙に色が似ているが、質感はぱりぱりしていてずっと薄い。
後二日後に、いきつけの書店で古本市が始まるので、見物に行く時間を捻出せねばならない。
こんなの買ったの、と云ってそこで、で読んだの、と返されるときまって黙る日々が続く。