四日だけ年女.

年の瀬に生れると、年女でいる日数が数日しかない、という事に気がついた。もうすぐ別のどうぶつがやってきてしまう。

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日付が変わって一歳加わる前から、過去になる予定の歳と現在になる予定の歳の事を考えていた。この歳になってまで両親に扶養されている事と、一向に将来の為の行動に出ないまま過ごしている事への自堕落を強く感じて、塞ぐ。こういう事は、人には笑って話す事が出来ても、自分で反芻する時は決して笑えず、泣くのも何か違って、目を閉じたまま、その場凌ぎの打開策が生れるまでじっとしている。
この一年出来た事と云えば、人の境遇や何かの結果を羨ましいと思わない事、だった。運や縁、というものも、予め信じたりしない。何か、行動の後ろについて来るものの存在は、無視する事に徹した。出来る事は、前を見て前にあるものを一つ一つやっつける事だった。自分がどれだけ頑張り、結果を出す事が出来るか、それに将来がかかっているのだ、そう思うからこそ、今自分の境遇が何とも情けないのだ。全然頑張っていない。人には(会話を繋ぐ為に)頑張っている振りをしているけれども、実際の自分に立ち返ると、ちっとも頑張っていない、という影に覆われる。頑張る、という言葉は、自分にとっては最もプラスでありよき事を表わす。逆に、人にはその言葉をかける事は滅多にない。どれだけの苦心をしているのか知らない人に、発破をかける事なんて出来ないので。
少しは頑張ったけれども、ちっとも頑張ってない。本当に、頑張ろう。