我が部屋に新年は来ず.

キッチン・ルール―台所の法則早朝から起きだして昨日の挽回を、と何度もアラームを設定して、何度も目を覚ますが動かず。そんなに嫌なのか(嫌なのだ、多分)。せねばならない、という事がテーマになった夢ばかり見、挙句の果てに暫くお預け状態にあるお出掛けと、好きなひとやら過去に焦がれた人やらが一緒くたに登場したので、暫く胸と頭が重かった。
待ちに待った年越し蕎麦、であるが、掃除も手伝えず黙々とPCに向かうしかないのでちっとも年を越せる気分ではないし、蕎麦をいただくのも有難すぎる。そもそも、忙しいので蕎麦にしよう、という考えだろうに、こんなにぬくぬくしているのであれば、まともな料理を拵えてあげたいくらい。
正月用お飾りが、早朝玄関先に登場した。お飾りの真ん中についている柑橘類は、橙、だったか、と確認するとふと、数日前に通りかかった果物屋で珍しく橙が売られていた事を思い出して、成る程、と今更思う。食べても美味しいのだろうか。

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料理のいろはを覚える為には、まずおせち料理の手伝い、という気合が体調不良と眠気と論文にかき消され、またもや申し訳なく黙って蕎麦を啜った。
キッチン・ルール―台所の法則』を買いに寒空の下へ出たが、在庫切れで(自分にとって品揃えが良いのか悪いのか、規模だけ大きな書店は予想がつき難い)、若干気分が萎えた。が、そのうち、である。『夫婦善哉 (新潮文庫)』(講談社文芸文庫版が欲しかったが、懐事情により諦める)『柿の種 (岩波文庫)』『目まいのする散歩 (中公文庫)』、ドイツ製の大して美味しくないがなぜか食べ出すと止まらない熊型グミ二袋を携えて帰る。
熊を齧りながら、「夫婦善哉」を読む。正月は殆ど毎年、初詣に向かう車内で、法善寺横町からの報道をラヂヲで耳にする。その度、嗚呼、いつか読まなくっちゃ、と思うのだった。その気持ちに先手を打つべく、そして先日夕陽丘と織田作さん関連のテレヴィ番組の後味を忘れる前に、手に取った次第。太宰治の作にある様な「どうしようもない感じ」ではなく、「しゃあない感じ」が人情の糸一本で「生」に繋がっている様な、又ご近所さんや下手もんやけどうまいもんに目をやる位の愛情を含んだ、憎めない作品であると、一読した時点では受け取った。「木の都」はほろろとさびしいが、一等親しい色に澄んでいる。
読み通している場合ではないので、文庫本半分程で年の最後と最初の読書は終えた。新しい手帖に、読書リストを書き写さねばならぬ。

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料理に関して、あれとこれとそれをああして作ったら美味しいのではなかろうか、と考えて挑戦したくなるのは果たして、「危険」な思想だろうか。あり合わせ料理が出来るようになるまでの道程は遠いのだろうが、今からその楽しさを慮ってはにやけている。

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特に何の変哲もない大晦日であった。結局掃除も先送りである。もう数年、我が部屋はまともに新年を迎えた例がない。
だからいつまで経っても眠いのだろうか。


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今年も日記を御覧戴き、有難うございました。
来年一年、皆様にとってよい年でありますように。