湯をぐらぐら沸かしましょう.

猫の鼻筋と口を見ていて、かぱっと一瞬口の中にそれらを収めてやりたい奇妙な感情が起こり、ムツゴロウさんを思い出した。そんな事をされて快感や親しみの気持ちを抱く動物は、いないだろうけれども。

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「眼球の透明さ」というフレーズへ違和感と強烈な印象を抱く。「水晶体の透明さ」ではどうだろうか。『眼球譚(初稿) (河出文庫)』を読まねばならない。
腰も痛ければお腹も痛い。ノロウイルスと風邪だけは勘弁して欲しい。もし論文を提出出来なければ、学位を取る事より退学を選ぶ。

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今後について、甘い夢の様な事を少し考えた。アルバイトでも良いから働きながら文章の勉強をして、いつかフリーで食べていく。しかしこれではいつ自立出来るか分からないので、兎も角お金を稼ぐ事で経験を増やす。根無し草でも経験を積まなくちゃならない、寝床のあるうちに。どれくらい手間がかかっても真面目にこなして良いものをつくる事を許される場所なんて、もうこの世では時代遅れなのだろうけど、そういう場所でしか深い呼吸が出来ない気がする。
無償でもやらせて下さい、と云う事が結構楽しくなってきた。

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夜中に『ひとつの音に世界を聴く―武満徹対談集 (1975年)』を捲る。自分を表現したい為の音楽と、すぐそこにあり「無」に向かう音楽、その二つの存在の間で引き裂かれている感じ、と言葉にしてもらえてすっきりした。
音楽を奏でる上では何か表現したいと思いながらも、自然の音や無私の音楽、実生活上の音楽にも惹かれるのはなぜだろう、と悩んできた。対談者達が云う様に、「無」に惹かれ続けると生きて行けないから、西洋音楽の様な「自分のある」音楽を見つめる事をも必要とするのかもしれない。
それでも「無」にはやはり強く惹かれる。「無」はとても静かであるから。コートの上で溶けていく一片の雪の様な音楽を、自分はまた愛する。

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編集長が遂に代替わりしたので(講演会に行きたかったが、早くも月初めの時点で満席になった様だ)、その記念に購入した『暮しの手帖』を、少しだけ眺めてみたが、この雑誌を読むには五年から十年早い気がして、封印する事にした。生活への積極的な取り組み方に、頭の下がる思いがする。これを読むよりも、まず手足を動かしてみる必要がある。
エプロンメモ』はいつか買って、そしてもし子どもを儲けたらばいつかその彼か彼女に贈りたい。