どちらでも宜しい.

午後一時から十時まで、という大枠の予定を、八割方椅子の上で過ごす。楽団の合宿の一日目は、未だ明日の存在を感じてか、精神的な負担は少ないものの、肉体的な負担が大きく、次第に腕以外が動きにくくなっていった。
今日が節分である事は、団員が豆の袋についてきた紙製かぺらぺらのプラスチック製の赤鬼を玩んでいる光景でやっと気づく。しかし、今は鬼が来ようが福が来ようが、すっかりどうでも良い気分だった。目の前の課題をどうにかして、またここ数日真っ白である思考に色がつけば、鬼でも福でも何でも、傍に居てくれて構わない。
大豆は好きなのに、結局ひとつも食べなかった。ベジタリアンの肉である野菜らしく、ぎゅっと締まって一方で飽きの来ない淡白さが、舌の上から喉より下にしっかり伝わっていく感覚が良い。

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古都の饂飩屋の献立は、他の土地の食堂よりも高価ではあるが、その分確かな出汁の味がする。疲労感に襲われている時、評判の洋食屋に駆け込み、オムライスなりハンバーグなりハヤシライスなりを頬張って、意気込むのも良いが、出汁の素晴らしく沁み込んだ丼物を、演歌を耳にしながらかき込むのも、身体には良い事なのだろう。