遮光性.

新聞屋のバイクの音を聞いて寝、休日の娯楽に出掛ける人々の声で醒める。
陽の光に反応して醒める、という健全な体質は、何時の日か失われてしまったらしい。光の明るさではなく、光を受けたカーテンの白さや薄さばかりが意識に上る。
一体何時、陽の光の快さを忘れてしまったのだろうか。思い浮かぶのは、陽が頭の上から過ぎ去った午後の光と、陽の軌跡から立つ匂いなのだ。仕事をし出し、早朝に起床する様になった為、朝らしい朝を迎える事が出来るかと思えば、朝の光を全身で感づくのは大概、電車の中での事である。それでもやはり、光を心地良いものとして捉えたことはなく、眩しさのあまり、車窓の日除けをすぐさま下ろしてしまう。

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空腹を抱えひもじさにぐらつきながら朝食を買いに出るのは、もう懲りた、と云いあって、前日の晩、洋食屋の帰りに朝食を調達しておいた。が、結局、陽の光にふたつ、背を向けて過ごしているうちに、朝食を摂る時間がなくなり、駅の椅子まで空腹を引きずりながら、無言で歩く羽目になった。

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ポンキエリはポンキエリの曲を書く、とひとつ頷き、コンサート会場の外へ出た。演奏が耳に残っているうちは、思い出しては何度も、曲に合わせて頷いている。
繁華街の喧騒と人込みを抜け、ターコイズブルーに塗った壁に囲まれたカフェに落ち着く。
開いたカーテンの隙間から差し込むシトロン色の遅い午後の光と、初夏の風が眠気を誘い、話し声を程よく滲ませるBGMのスカが気だるさを運んで来た。
いずれにしろ、光では覚醒出来ない身体らしい、哀しいかな。