大買い物魔の一日.

昨年の今頃は未だほんの毛玉だった猫のうち二匹を、夜道で見つけた。買い物の紙袋ががさごそ云うのを、目で追う。子猫らしく、もこもこでころころの身体をしていて、大層愛らしい。
構ってくれないので諦めて歩きだすと、遠くの方にまた猫のシルエット有り。近づきたいが、私有地には踏み込む度胸がなく、一歩踏み出したところでぱっとライトがついたので、矢張り諦めて退散する。一部始終を、猫に見られた。人間は愚かなり。

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髪を少し明るい色にする。
我が職場では、真面目な黒よりも、雰囲気が明るくなる色の方が、礼儀正しいとされる様である。それに従って、という訳ではなく、単に、黒以外の髪にすると自分はどんな雰囲気になるのか、知りたいが為の「実験」である。
結果は、自分は矢張り自分であり、しかも然程お洒落感もなく、鏡を覗くと、何故栗色にしてみたのか釈然としない風の自分が映る。もう少し奇抜な色にすれば良かったのだろうか。
一通り試して三十代に差し掛かった頃にはきっぱりと、漆黒のおかっぱに戻そう、と決めた。

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ふらふらと古都に出て行き、客も店員も忙しない絵本カフェで、ボロネーゼ(挽肉入りミートソースにチーズが入ったの)のホットサンドと珈琲を流し込む。絵本は大人しくしている。お出かけ途中の「止まり木」が欲しいだけの客は大抵、目の前のおやつか、近くの書店で買った雑誌に夢中になっている。
美容室で二時間程費やしたので、食後の珈琲を飲み終えた時には16時になっていた。栗色の髪の自分をもう一度、御手洗いの鏡で確認する。未だ怪訝な顔をした自分の顔は、黒い眉と黒縁眼鏡が居心地悪そうにしていた。

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スカート4着、ブラウス1着、カーディガン2着、という、自分史上最多数の試着をさせてもらい、これは運命だと思いますよ、と云われて納得したブラウス一着と、消去法が通用しない悩ましげな4着中、一番手に取る回数の多かったスカートを持ち帰る。真ピンクのブラウスは、臆病者にとっての重ね着専用衣類、になりそうである。しかも、後ろに釦があり、一体誰が、背中の中頃の釦を閉めてくれるのか、少々心配である。スカートの腰周りは程良くぎりぎりであり、夏のダイエットに有用だが、希望よりも心配の方に軍配があがる。
この買い物が後々「無駄遣い」になるかどうか、を考えながら通りを歩き、最後に寄ろうと決めていた店のノブを捻る。客の自分を、おねえさん、と呼ぶ店員と暫く会話を繋げていたところ、これ絶対似合うから着てみて、と粘られたのでまたもや試着する。フランスの何十年前かのワンピースで、胸元は色とりどり、襟やスカート部分はリネン混じりでさっぱりとした肌触りの白い生地、色具合も形も、自分の為に作られたかの様な添いっぷりで驚く。この事実に抗えないので、取り置きしてもらう事にして店を引き上げた。職に就いて、一番最初に自分のお金でした、大きな買い物だったかもしれない。
運命ですよ、という科白に弱い事を見破られるから、一日に二度も(そして先週も)同じ様な事を云われるのだ、と冷静になりながらも、出会いを求めてのこのこ服の裾を掴みに歩きまわってしまう。
「本物を求める人でしょおねえさんは。店に入ってきた瞬間に分かった。」と今日であったプロに云われた。おねえさんとは気が合う気がする、という言葉を信じて、その店にはまた通う事にする。しかし、また高価な買い物をしてしまいそうである。
良いと思えるもので且つ、分相応しか、欲しくない。似合う服と好きな服は違う、と云うが、大きな模様の入った服が好きで似合うらしい事が幸せでならない。

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買い物が病みつきになる性分を、存分に発揮してしまった一日であった。やってしまった、という感触を手に手鏡を覗き込み、眉をなぞる。