手の届かないもの.

uopus2007-06-10

人間はこの世の何の役に立っているのだろう、という果てない疑問への回答を練りつつ、昨夜の残りのパスタを咀嚼する。
具の小さな蛸ばかり皿に残すのを父が見つけて、蛸嫌いなんか、と面白がって訊くので、なるべく億劫に聞こえる様に、好きだから、と答える。好きなものは後に残す性質だという事を、父はとうに知っている。
この蛸はこれ以上大きくならない種類の蛸なのか、或いはまだこんなに小さいのに水揚げされてしまったのか、と、先程よりは「果ての近い」疑問への答えは放棄して咀嚼を続けた。たらば蟹と蛸は8本足である事も確認する。

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昨日の買い物帰り、買ったからには片付けもせねばならない、と胸に誓った。その誓い通り、外が明るいうちは、箪笥とクローゼットの整理と古びたものの処分に精を出した。一度着手してしまうと、あれもこれも、とすべてが気になりだす。正直に着手してしまうと夜中までかかるので、床の掃除は妥協し、ものが収まったところでお茶を飲んで休憩した。
金曜に買って結局火を点さずにいたキャンドルを灯す。十数種類あるシリーズのなかから、よくよく悩んで宣伝文句とパッケージだけで判断した香は、思い通りのものだった。
レイニームスク、と銘打たれているが、雨を連想させる要素はない。確かに、雨上がりに林道を歩くと嗅ぐ様な、すっと頭の後ろまで流れていく清々しさと自然の甘みを感じる香ではある。古道具屋で購入した薄手のデミタスカップにキャンドルを入れ火を点けると、橙に照らされたカップの表面が焔を映し美しい。(小物入れやキャンドルホルダーにも、という宣伝文句に従っておいて正解だった。)
一、二週間前から感じている事だが、どうも森林が恋しい。揺れる柳の新葉さえ、切ない。

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スーパーに、梅酒用、と書かれた青梅が並んでいた。それを祖母に報告しながら祖母手製の梅酒を飲む。もう今年は作らない、と厳しい顔で呟かれ、口の中にあった梅酒の味を失った。おじいちゃんが喜んで飲んでたから作ってたんだけどね、という言葉に、適切な返事が出来なかった。
季節の野菜でせっせと糠床を育て、季節の果実でせっせと来年の楽しみを拵える仕事を、私は受け継ぐ事が出来るだろうか。