相応についての気鬱.

服装にあれこれ悩んだ挙句、やっとの事で、こちらにしよう、と決着をつけ、身繕いをしているところに父が、もうちょっと若い格好をしたら、と云うので、落ち込んで再び部屋に戻る。結局、悩んだ末決着をつける前に手にしていたものを着込んで、憂鬱を抱きながら外に出た。
若い格好、と想いながら、街を歩くと、確かに若者の若者らしい格好は街に溢れている。自分も彼女らを倣って、「若者らしい」格好をすれば良いのかもしれない。ただし、そんな格好の為の服は会社へ着て行く服数枚くらいで、またそんな格好で全身を固めた自分を想像すら出来ない。
どうしたものか。確かに、その歳でしか味わえない服装もあるに違いないのに、自分はその「若さ」という特権を無駄にしているのか。

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歳の割に落ち着いている、と云われる事が多いが、その言葉を裏返せば、老けて見える、という事だという点に、この時気がついた。
もう少しはしゃいでみたり、流行の服装を身につけてみれば、何か気分も変わるのだろうか。
相応、である事は、一体誰が判断して、誰が「よろしい」の判を押すのだろうか。
一日中そんな事を考え、街行く人を観察し、隣を歩いているひとの顔色を窺っていると、えらく消耗してしまった。しかも、ひとつも答えは出ずに一日は終わる。
もうこりごりである。