ex machina.

SWITCH 25ー9 特集:HASYMO/Yellow Magic Orchest
空調を付けたり消したりしながら、ぼやりと暖まっていくシーツの上に座り込んで、『SWITCH 25ー9 特集:HASYMO/Yellow Magic Orchest』を捲る。昨日、書店で見つけて即レヂに運んだ。
この「三人」を、YMOとして待ち続けていたのだが、中身を開けてみれば違うものだった。YouTubeで「Cue」を観れば、HAS(HASYMO)がYMOではない事がとてもよく分かる。*1
『switch』でやはりインタビューが掲載されているthe brilliant greenの記事を読むと、YMOの事情だけでなく、音楽をやっていく事について、少し見える。


音楽を誰かと作る、演奏する、という事が、相乗効果をもたらす事や、楽しみ、進歩に繋がる時もあるが、一度お互いの方向を違えてしまえば、以前の様な共同作業は苦痛でしかなくなるものだ、という事を知る。音楽や芸術、またはそんな大袈裟な名をつける程でもない感情でさえ、他人のそれに添わせる事等どうにも出来ない。自分の感情に真剣になる程、孤立を受け入れねばならない。また人は、変わらない一方で、変わるものだ。これらの摂理には本人も抗えないのだから、仕方ない。
一筋縄では行かない、行かせたくない、それが音楽であり感情表現なのだろう。
真剣になればなる程、事は面倒臭くなる。が、真剣であればある程、感情や理想をぶつけ合った人との絆は大抵、太く長いものになる。無理矢理グループ活動を続け煮詰めに煮詰めた末散開したYMO、各々違う方向に散って気が向けば一所に戻ってくるthe brilliant green 等、その「面倒臭さ」との付き合い方法はプロによって様々だが、この有り様は何も、音楽だけに云える事ではない。一般的な人間関係にも云える事であり、彼彼女らの活動っぷりは大層参考になった。
真剣になった末の仲違いと、惰性で繋いでいく良好そうな関係、どちらをファンが望むか、といえば半々位だろうが、懐と耳に余裕のない者(私)は前者を望む。

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Apple seed saga EX machina」公開の秋が待ち遠しい。

*1:「Cue」というのは、「散開」(解散、ではなく)前に、三人でやっていく事がもはや困難となった頃に、坂本龍一氏を除いて細野晴臣氏と高橋幸宏氏で作った曲で、当時の収録には坂本氏は参加していない。が、HASとしてのライヴでは、坂本氏がドラムで参加している。眉間に皺を寄せ、リズムを口ずさみながら必死に叩ききった。