夢と魔法のワンダーランドと現実、に君.

uopus2007-09-24

昨日今日と続け様に、雨に降られている。
折り畳み傘の一本位鞄に入れておくべきだ、と振られた一日目で学習するはずのところを、馬鹿馬鹿しくもそうせずに、翌日も強かに濡れて帰宅した。今日は同行人がいたので、前日とは違いビニイル傘を買わずに済んだ。幼い頃から、雨には降られ易い「間合い」に生きているのに、傘を持って出るべし、という学習が完全でないのはなぜなのだろうか。近頃の傘は、吹き飛ぶ程軽いというのに。(よって、少しでも強風に吹かれれば、すぐさま捲れあがってしまう。台風が来れば、数秒で骨が折れるだろう。)

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愛するバンドの愛するヴォーカルが結婚した、というニュースと、平井堅の新曲「fake star」を耳にして、世間一般に顔の割れた人の生活を考える日々が続いている。
芸で食べている人は、世間とその芸で繋がっている。逆に云えば、芸だけでしか世間と繋がっていないのであり、顔を知っているからといって、その人のすべてを知っている訳ではない。世間が彼彼女らについて知っている気になってしまうのは、まま自然な事でありそれがメディアの力なのだから、仕方がないといえば仕方がない。が、私生活の中で、自分が知りうる情報で誰かの人柄すべてを推し量るのは不可能であるし、自分の預かり知らぬところで結ばれた自分の像等気味が悪い事この上ない(そういう像が結ばれるのには根拠があるのしろ)、という事を考えれば、芸人は多種多様に歪んだ自分像を毎日世間一般の人数分プレゼントされている、その不気味さが分かる。
プロの厳しさに同情する前に、人と人との間のモラルについて考えたい。
どこかの誰かが幸せに結婚したらしい事は単純に喜ばしいから、おめでとう、を云う。「fake star」に関しては、インタヴューによると、ちゃかしつつも日々感じている事を表現してみた、とか。それにしても、自虐的過ぎやしないか。

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就職したら自分への褒美に買おう、と決めていたCDを今日、やっと買った。まだ褒美を授けるには早い、とか、何となく気分ぢゃない、とか何度か棚の前を行ったり来たりする期間を経て、の購入となった為か、他のCDとは手にした時の重みが違う。
ASIAN KUNG-FU GENERATION ファンクラブ [ ASIAN KUNG-FU GENERATION ]は、心(という曖昧で多少便利な語を、あまり使用したくないのは文章の訓練の為なのだが、時々力不足である余り使用せざるを得ない)の奥深くを表現しよう、という試みの所為か、どの曲も身体の深くをえぐってくる。深くえぐられる切なさと、現実を見つめよ、現実を忘れるな、という叫びの厳しさを感じる。
自分の掌の上を見つめた。私の両手にもこれだけだよ。