四季の隙間に.

身辺が一段落して、やっと読書が出来る様になった。それでも、読書の秋、という節を口にするには抵抗がある。この、生温い気候は一体何なのだろうか。秋でもなく、冬でもなく、夏でもない。穴の様な季節で、書物にしてもセンチメンタルな物語とは遠いジャンルを欲する。
空気もいつまで経っても生温い所為で、喫茶店の扉は宵の口まで開け放たれている。店に寄って一杯「やる」時間帯は、丁度頬に僅かな冷気を感じる時分なので、入り口からの風を感じて大抵、上着を両肩に引っ掛ける。それが店主への合図となり、扉は良い頃合いで閉められる、というのが今日この頃である。
女のかたち (1979年) (集英社文庫)』という挿画も内容も印象と刺激が強い文庫本を、仕事場に持って行く鞄の中に入れている。が、あまりにも人の目を引きすぎるであろう挿画である為に、満員電車の中ではそうそう開いて読み進める事が出来ない。そして、こういう内容の本は、自室で密やかに読むのが相応しいのかもしれない。ひとりっきりの場所でじっくり読むべき本、に分類される様な気がしている。読書、と云えば、ここ一年ずっと随筆を追い駆けていて、先日串田孫一を二冊、古書店で購入したばかりである。

不器用な愛 (1984年)

不器用な愛 (1984年)

串田氏の考え事がつらつらと並んでいる本である。まるで手帖に思いつくままに書いた様な体裁だ、と思いながらあとがきを読めば、本当に手帖に書き留めた文を一冊にまとめた本らしい事が分かった。手帖文学である。