ミクロスコープの世界.

毎日毎日、ほんの小さな仕事をし、ほんの小さな移動、ほんの小さな呼吸をする。世界を動かす事は到底出来ようもないが、どこかの誰かをほんの少しだけ楽にする事を、人生の大部分を切り売りしながら生み出す日々が続く。
小川にいる(であろう)メダカが食べる、ほんの小さなミジンコを想う。或いは、メダカは一生に何体のミジンコを口にするのだろうか、という事も。ミジンコ一体一体にも各々のミジンコ的生活があって、メダカに掛かれば一口以下であろうとも一応、メダカの栄養の一部にはなる事が出来る。結果は誰かの「一口」かもしれないけれど、その「一口」が栄養たっぷりである様に、尚且つ、まあ自分なりにやってきたしこれも定めか、と思える最期を迎える事の出来る様に、日々過ごしたいものだ。
明日も明後日もその先も、ちまちまとした、しかし恐らく誰かがせねばならない仕事を私め(わたくしめ)が、日がな一日やる事になるだろう。いつか「巨大」なメダカが目の前に現れて、ぱくっとやられる日が来るまで。

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通勤と帰宅のラッシュに身を投じながら、しばしば人間観察に興じていると、意外に読書をする人が多い事に気づいた。思い思いのブックカヴァアが、殺風景な車中にささやかな彩りを添えている。席を取るにも一苦労の路線を利用している自分にとっては、よくも睡魔に耐える事が出来るものだ、と感心したが、成る程、一度読書に集中すると睡魔を食い止める事が出来るらしい。
現代小説は睡魔対策に効果がある。読み進め易い為、自ずと集中力が持続する。しかし評論や暢気な口調の随筆だと、疲労感たっぷりの脳は数分で睡魔に侵され、気づけば舟を漕いでいる。
現代日本ホラー小説に熱中していたはずが、いつの間にか月曜日特有の気だるさに負けて睡魔に身を委ねたところ、夢の中でもホラーが展開されており、車中であるにも関わらず魘された。