思い出す事など.

久しぶりに手帖を開けると、親愛なるカフェのチラシが目についた。3月15日3周年、と書かれている。去年のものだ。またそろそろ記念日がやってくるのではないか、と思っていたら、やっぱりである。明後日で4周年だ。
手帖を見返すと、去年はあまり手帖に書きもの(愚痴は除く)をしなかった様で、そのチラシが貼られている頁から「新しい空白」まで、そう頁を重ねていない。よって、書きものを止めていた物云わぬ時間、自分がどんな状態にあったのかは、記憶を辿るしかない訳である。が、記憶力が乏しい為、ゼラチンの様にぼよぼよとした「印象の塊」と云うべきものが手の中にあるのみ、具体的な出来事は一切思い出せない。こうして今年もあっという間に過去になるのだろう。
唯一去年の3月について思い出した事がある。親愛なるカフェのデザートには大抵、ゆるめに仕立てた甘くないクリームが付いて出てくる。そのクリームを口にするのを、去年は断固拒否していたのだった。今年は、と云うとそういえば、ケーキか何か美味しい欠片と共に口に運んでいる。一緒に付いて出されるのだから、一緒に食べた方が美味しいに違いないのだ。そして別に、食べたって今の自分の身体に支障を来す事はないだろうし。この事は、今年に入ってからの、自分に関するちょっとした発見である。自分の気持ち(と欲望)に素直になった事は大きな動きである。が、その所為かしらん、体脂肪率の右肩上がり具合が目覚しい。
何かを「思い出した」と感じる度、生きている事を実感する。時に甘く時に苦い―しかもしばしば強烈に―現象である。