休暇気分は上々.

uopus2009-05-06

Papierd'armenie(パピエダルメニイ)という、燃やすと空気清浄効果のある甘い香りの茶色い紙よりも、マッチを燃やした匂いの方が癖になる。ライターは怖くて使えない。
この紙を燃やすのに丁度良いではないか!、と極狭い目的で購入した小皿(写真奥。乗っているのは前述のパピエ)は思い通り良い塩梅。骨董品屋で購入(ひび入りの為お買い得)、幕末か明治期くらいだと勝手に思っている。緑がかった灰色の梅の花の中に、鶯か小鳥がいるのが薄っすら見える。雑っぽい手なのが気に入っている。

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ひねもす雨天、にも関わらず、怠けて後回しになっていた衣替えと自室の掃除を強行した。湿気たっぷりなので、防虫剤を急ぎ投入せねばならない。日頃はローラー状のごみ取り(コロコロ、と呼んでいる)簡単に済ませてしまうところを、今日は掃除機にも働いてもらった。気温上昇と共にたっぷり発生したであろうダニ達を一掃するのだ、という妄想で以って。ごうごうという音が不快だし、もはや本棚に入りきらず積んである本が崩れるのが煩わしいので、掃除機での掃除はついついサボりがちになってしまう。
八つ時は、正月以来の久方ぶりに祖母宅へ。徒歩五分だから何時でも行ける、と思っていると逆に足が遠のき、行かないうちに接し方を忘れてしまうので、もっとこまめに会いに行くべきなのだが。ゆっくり過ぎてゆく老人の世界の中で美味しいお茶を飲んでいると、ついつい時間を忘れる。調味料やペットボトルの口が、力の無くなった手には固すぎる事や(日本が高齢化しているのは自明のことなのに、この世はどうも老人にやさしくない、とは祖母の嘆き)、腰を痛めてから遠くのスーパーへ行けなくなったのにチラシだけはチェックして暇を潰している事、洗剤の説明書きは晴れた日の明るい部屋で読む事、そんな至極日常の呟きが新鮮に思える程、自分の視野が狭くなっていた事に気づく。また参らねばならない、美味しい茶菓子でも持って。土産として、祖母の庭で盛りを迎えているジャスミンの花を少々授かった。帰宅後、玄関に花を欠かさない母の顔がほころんだ。
掃除に祖母見舞い、これにて本日、概ね連休のミッションは終了である。目出たし!

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読書は経済書の方が進む。買った本をその日中に開けなければ今後も読まないで終わる、という法則を何かで読んだ。よく当てはまっている、と未読の山を見て思う。勝間和代女史訳で、女史の一生を変えたという本を買ったけれども、まだ読んでいない為しばらく一生に変化はなさそうである。今夜は『無趣味のすすめ』を読破予定、明日は戸板康二氏の歌舞伎に関する本を。
連休中は、殆どリーバイスの501を穿いて過ごした。太すぎず細すぎず扱いやすい幅な上に、80年代のものなので適度に草臥れているので、とても楽で重宝する。5、60年代の501の何たらかんたらモデル、というのは桁違いに高価でびっくりする。物の価値判断基準は底知れないものだ。ちなみに、80年代だと現行モデルのとあまり変わらない価格で購入出来る。古いフォームでこなれた風合いを味わうか、新品で自分で一から「育て上げる」か、という選択肢を得られるので、ヴィンテージを取り入れた生活は気に入っている。