五月の莫迦.

なるミッションを発見した。先日ギャラリーで洒落た熨斗袋を見つけたので、今月下旬にある友人の結婚式用に購入したのだが、帰宅後水引選びにも作法があった事を思い出しよく見たら、残念ながら蝶結び・・・。結びきりの洒落たやつを探しなおさなければならない。面倒臭いけれど仕方がない、結婚式は大切だから。依頼された一言スピーチも考えなくては。迷信めいた細々とした習慣を、面倒臭い、と思いながらも、よく考えたものだ、と感心する自分はやはり日本人だ。何事も心の持ち様だという事を、先人はよく知っていたのだろう。

            • -

連休ですっかり体内時計が狂ってしまっていて、昨夜はなかなか寝付けなかった。おおよそ十数回目の寝返りでふと見た時計の針は午前4時半を差していていて、ため息を零す。結局睡眠時間が計二時間で、殆ど機能していない頭と楽器(今日はレッスン日)、楽譜を抱えて会社入りした。全く地に足がついていない様な感じで仕事をするも、休み前に今日のこんな状態を見込んで作成していたメモに助けられて、何とか一日を終える。自分を褒めてやりたい位だ。周囲に調子を尋ねてみると、身体だけ会社に連れてきたのは良いが、心は丸々家に置き忘れてきた様だ、という答えが皆から返ってきた。
睡眠不足のすかすかな頭に疲労が注入され、夜9時からというレッスンに辿り着いた頃には、エネルギーゲージは殆ど0に近かった。そこへ更に、レッスンの結果が招くいつもの情けなさが追加されて、ゲージは一気にマイナスへ。そうなると、精神的にもマイナスに転ぶのがはっきり分かる。どうすれば自分の顔、性格、音、存在を愛せるのだろうか。自分はどうしようもない人間だ。生きている価値のない人間だ。等など、その考え方こそ余程どうしようもないと思う様な考えが浮かぶので困ったものである。もうこうなると、早急に寝床に入るに限る。流石に今晩は熟睡出来るだろう。
甘い香りのする番茶を、上級品という事を気にせずに茶葉をばさばさと急須に詰めて沸騰した湯で勢いよく淹れる。それをマグカップへ(湯呑茶碗にではなく。フランクな付き合いが良い)注いだのを、今手に持って茫とパソコンに向かっている。飲み終わった後カップに鼻を近づけて、未だ残っている甘い香りを嗅ぐと、幾分気持ちが和んだ。毎日30件は来る迷惑メールの削除作業中、最近淋しくないですか、との件名を目にする。最近。人生は淋しいものなんぢゃないですか、常に。
だから、やさしくされると泪が出る。

        • -

明日から、またちゃんと自分の音と感覚を「聴こう」。本も読もう。早く帰ってゆっくりしよう。番茶のお蔭でマイナスからゼロに早くも浮上、良い傾向だ。天晴れ、旨い番茶*1
週末に小さな映画館へ「小三治」を観に行くのを、目先の楽しみとする。柳家小三治氏のドキュメンタリー映画らしい。歌舞伎といい落語といい、人情を感じさせる乙な科白に「してやられたい」のだ。

*1:奈良吉野 嘉兵衛本舗のもの。→関心空間