非日常と日常.

昼下がりの出来事。上洛。
或る駅の構内で、帽子の上に瞬く電球を乗っけた人が、行ったり来たりしている。そんな格好の人がひとりだけならば、「嗚呼、光る帽子が好きなんだなあ」と思うだけなんだろうが、よくよく見回してみると、二人居る。
似通った雰囲気で風貌の男の人が二人、帽子に電球を乗っけてぐるぐると歩き回っている。(その姿をカメラで撮影している人がいた。何かの作品の撮影か調査なんだろう。)
私達は一体、何を日常に、何を非日常にして、また、それを何によって仕分けして生きているのだろう。電球を乗っけて放浪、逍遥する趣味の人が一人二人いる、という事実には、何ら受け入れがたい点は無いはずなのだ。が、良く分からないことに私は、あまり「電球乗っけ人」の事をあまり見つめてはいけない気になる。多少やはり不思議で、非日常で、珍しくて、じっと見たくなる。
この感覚はなんだろう。
自分は今までどうやって生きてきて、何のなかでやってきて。
これからどうするんだろう。
という事が。
一瞬にしてふっとぶのだ。
…彼らは、危険人物だった。私にとって。
どうして、くれよう。
どうして、くれよう。