うずまき猫.

いくら何でも書きすぎ、という日は、原稿用紙にして四、五枚書いている換算になる事に気がつく。この分、小説でも書きたい、と思うのだが、まとまった時間がそこまで取れない。まとまった時間を求めるのは、一気に書いてしまわないと、気が萎える所為である。飽き性なのだ。
「…なのだ」という言葉遣いで、バカボンのパパを思い出すのは、私だけだろうか。笑えるのであまり使いたくないが、つい便利で結構頻繁に使ってしまう。

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必要なことばしか口にしない、口にできないどころか、考えつきもしない、ひとは何を、思っているのだろうか。無言のとき、私は「ことばなんて、いまはいらないんだ」と思っているけれど、ひとは何を思っているのだろうか。
なにも考えていないのかもしれない。ありえる。

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そろそろ就職活動を開始せねばならない。10月から、とのんびりしていたが、もうすでに10月の一週目が終わろうとしている。せめて就職サイトに登録しなければ。しかし経験上、就職サイトを幾つかチェックする日々が続くと、確実に寝不足に陥るか睡眠のサイクルが崩壊する。そしてあれは、心臓に悪い。 大学生よりは、夢も理想も無く冷めた就職活動になりそうだ。所詮は縁の有無だと思っている。「間違って」就職してしまった場所では、そう長く働けないだろう。私は嘘をつき通せる程、器用でも頑丈でもない。

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図書館に行き本を借りると、「今8冊、ご利用中ですよね?」と尋ねられた。はい、と答え、その場を立ち去った。しかし暫く「ご利用中」という言葉の違和感が消えず、ひとにメールをしたり母にも尋ねてしまった。使用中、は完全に馴染んでしまった言葉だから、今更どうこう云っても仕方ない。が「ご利用中」はどうなのだろうか。普通に使うのだろうか。勿論意味は理解出来るし、「使用中」の丁寧語として発せられたのかもしれない。「…中」は、継続可能な語(動詞が名詞化した語)に付く、と大雑把に定義出来ると思うが(「継続」「存続」等、語自体に「続」という継続のイメージが入っている語は、どうなのか分からないけれども)、「使用」「利用」等一時的な動作(「風邪を引いている」に対して「風邪を引く」)を表す語は、「…中」を付加しずらい気がする。
私には論文が一本書けそうな議題だが、ひと人には「そんな事はいちいち考えない(意味が通じたら良いのだ)」という何でもない事らしいので、こんな「些細な事」に突っかかるのは、私の職業病なのかもしれない。
ちなみに母は、「ご利用中」に違和感を感じるらしい。若者はきっと違和感を感じないだろう。法則が塗り替えられていく過程を見ているようで、面白くはある。

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今日の読書:ランゲルハンス島の午後 (新潮文庫) 気楽だけれども、時に笑いを誘う、素敵な本。ご本人が書いておられるように、友人からの手紙のような親しみが本当にある。お酒かお菓子付きお茶と共に(上品でないけれども)、のんびり読んでも良いかもしれない。村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫)村上春樹の著作には猫がよく登場し、猫好きには大変嬉しい。
時の旅人『時の旅人』また作風が変わった。一人の作家を読み通す愉しみもある。
近頃、猫(或いは他の動物)と料理に関する文学を欲している。猫と料理は何の関係もないが、私にとってそれらは、読んでいてのめり込む事の出来る題材なのである。たまらない。
センセイの鞄 (文春文庫)はぱらぱらと読み返し…本棚で目が合ってしまった。