奥手=自意識過剰?

久々に楽団の練習に行く。近頃ひどくなった自信喪失感により少し滅入ったものの、弾き始めると夢中になるのだから、不思議だ。
後輩達が出演する演奏会に行く為に、練習を途中で抜けようと思っていたのだが、抜ける間際になって好きな曲の練習が始まってしまい、結局演奏会会場への到着を遅らせてしまった。「交響譚詩」は血沸き肉踊るが、難しい。きちんと音にし、きちんと作者が意図した音楽にする為に、練習は欠かせないだろう。
頑張っている人を台無しにする頑張っていない人が、この演奏会では最も醜い。そんな人達が、事情あってこの演奏会を「単なる見世物」的価値に貶めている。練習しないで(仕上げないで)演奏会に出る、他人に演奏を聞かせる意味は、全くないのだが、そんな基本を忘れている人が多過ぎる。 
頑張った人、頑張ったから楽しめた人、お疲れ様でした。そうでない人、次回は期待していますので、どうか改心して下さい。

                            • -

内輪的演奏会を聴きに行くと、懐かしの面々に会えるのが嬉しい。部の現役時代の事や、部自体の事を、もう殆ど忘却している。これが引退か。
師匠が前列に座っておられたが、申し訳ない事に、挨拶をする機会が無かった。

                            • -

好きな人(気になる、という表現は止めた)を見かける事を内心楽しみにしていたが、見かけたものの話せず仕舞いだった。話すと余計に近づきになりたいと思い始め、また巧く話せない事や収拾のつかない気持ちに戸惑い、くだらない悩みが増幅する事を暗に避けた結果としてである。
どうしてすぐに誰彼構わずに人を好きになってしまうのだろう(単純に好きになる)、関係の芽を大切に育てる力を持たないくせに。多くの芽は私の弱さと現実に食いつぶされてしまう。要は、自意識過剰で事を気にし過ぎ、期待を持ち過ぎなのかもしれない。自分の事しか考えられていない。
好きなひと人を愛せるだろうか、好きなひと人に愛してもらえるだろうか。ひと人を信じているのだろうか。(面倒な子やなぁ私)

                            • -

またあらゆる自信を失った。取り戻そうともがく作業も、また良いだろう。

                            • -

大切なものを守る事維持する事は大抵、面倒臭いか手がかかる。面倒が苦なら、止めてしまえば良い。苦にならない事が、本当に大切に思っている事なのだろう。